夏の終わり、秋の始まり~epilogue~

 

 

吹く風も冷たくなり、タンスで眠っていた長袖の洋服たちが目を覚ました今日この頃。平成最後の夏が終わり、所々色付いた紅葉が秋の訪れを感じさせる。

 

皆さんは、久石譲作曲のsummerという曲をご存知だろうか。映画「菊次郎の夏」のメインテーマで、曲名は知らなくても、どこかで聞いたことはあるという人がほとんどであろう。

 

 

この曲は姉がピアノの発表会で弾き、それを聞いて私も練習をし始めたのが小6くらいの頃。それからしばらくすると、弟が別バージョンのsummerを発表会で演奏した。

 

そして、様々なバージョンを盛り合わせて編曲して演奏したのが去年の今頃、さらに今年はそれを編曲し直してver.2を演奏する。

 

この曲は、まさにずっと前から知ってる思い出深い曲なのである。

 

 

編曲しながら曲について考えていると、どうやらこの曲は夏の日を描いた曲では無いと思うのだ。

 

夏と秋の狭間、まさに夏の終わり、秋の始まりの瞬間である。

 

様々なバージョンがあるので全て一概には言えないが、少なくとも自分が編曲したsummerはそういう世界観で成り立っている。

 

 

最も有名なメロディーの部分は、夏の日の思い出と秋の風景を表しているではないだろうか。その主題が何度も繰り返され、夏の日を私たちに回想させる。 そしてその繰り返しはヴァイオリン、ピアノ、フルート、チェロ、グロッケンシュピールなどと楽器を変えて何度も演奏され、様々な夏の日の思い出が連想される。

 

その後転調をして世界は秋の風景の中に落ちていく。

そして忙しない冬を表したような8分の12拍子で様々な音、旋律が交錯した場面へと入り、それは足早に過ぎ去っていく。

 

4分の4拍子に戻り冬の終わりが訪れ、春の新芽が芽生えてくる様子をグロッケンシュピール、フルート、ヴァイオリンが美しく唄う。

 

そして、新たな夏を予感させるあの主題が再び帰ってくるのだ。

ファゴットのスタッカートとヴィオラ、チェロ、コントラバスのピチカートを背景にして流れる主題は、訪れる夏への期待が感じられるような軽快さとなる。そしてもう1度繰り返される主題の部分ではピアノとファゴットがメロディーを弾くと同時にフルートやチェロがそのメロディーを追っかけ、ヴァイオリンが主題と類似しているが全く別の旋律を奏でる。

昨年の夏を1つの思い出として、それとは全く別の夏が来るのだ。

 

終曲部では、ピアノとシロフォンの軽快なメロディーの中で新たな夏に突入していく風景が連想させられ、あらたな夏に突入した所でこの曲は終わる。チェロが微かに主題を弾き、昨年の夏の思い出は心の中にしまわれて新たな夏への期待を高めているのだ。

 

 

 

 

 

このように、(あくまでも個人の解釈だが、)summerは夏の終わりから夏の始まりまでを表した曲なのである。

 

 

何故こんな話をしているのか。

 

 

夏休みも終わり、1つの夏が過ぎていった。

 

大量の野外実習、サークルの夏合宿、音楽教室、塾講、実験インストラクター、花火、アスレチック、ボランティア、免許合宿、様々な事があって様々な思い出が作られた夏だった。

 

 

この夏の出来事は全て無駄ではなく、心の奥底でひっそりと息を潜めている。

 

そしてその思い出は、summerの旋律に乗っていつでも心の中に蘇ってくるのだ。

 

 

サークルの学園祭、演奏会、そして執行代である3年生へ。さらに学業も加わりこれからかなり忙しくなる。

 

ふとした時にこの夏の思い出が出てきて、自分に何かしらの力を与えてくれるような気がするのだ。

 

 

 

だから私は「夏の終わり、秋の始まり」のこの一瞬を大切にしたいのだ。

 

 

 

 

そんな事を思う今日この頃。

 

 

 

 

 

今日もまた秋の風が流れていき、優しく私の背中を押してくれているような気がする。