椽の下の舞い

 

このタイトルのこの内容は、実は去年の夏過ぎからずっと下書きに書き留められたままだった。しかし、何をどう思ったのかは分からないが、その続きを書いてみようと思う。

 

聖徳太子が建築した大阪の四天王寺の経供養で披露されていた「椽(えん)の下の舞」。いつからそれが行われていたのかは分からないが、昭和40年までそれは一般には非公開で行われてきた秘事である。

しかし舞い手は観客が見ていないにも関わらず必死に練習を重ね、このことからこの「椽の下の舞」という言葉は陰で努力や苦労をすることを指す言葉になった。

 

これが、言わずと知れた「縁の下の力持ち」という言葉の語源である。

 

私はこれまで、というかいつでも、縁の下にいる存在であった。そしてそこから色々な人を鼓舞したり、実はある出来事の裏には私がいたということが結構ある。

 

しかし、縁の下というのはとても居心地が悪いもので、決していつまでも居たいと思う場所ではない。

基本的には誰の目につくでもなく、時々目が合うのは同じ縁の下にいる仲間か私たちが手に負えず縁の下に住むしかなくなったネズミ達。

いつか私も皆の目につくところに行きたいと、誰かを縁の下で持ち上げながらいつも思うのである。

 

だが、縁の下の下には何も無く、下から押してくれる力持ちはいない。だから私が自ら縁の上に登らなくてはいけないのだ。

しかし、自分が縁の上に行っていい人間なのかと何かが私に声をかけ、その葛藤の中で力持ち達は生きているのである。

 

誰かが縁の上から手を差し伸べてくれたら、誰かが縁の下の下から押し上げてくれたら、そんなことを思いながら力持ちたちは今日も生きている。

 

私も、そうやって生きていた。